部屋に花を飾ること

家に花があるっていいな。
私は幸せなことに、日々その喜びを実感しています。
そして、私がこのWebサイトでご紹介する室内花の多くは、いけばなの写真です。

いけばなは、日本固有の伝統文化のひとつです。

『お稽古は着物に正座なんでしょう?』『伝統に縛られたルールと厳しい指導があるんでしょう?』『和室や床の間に飾らないとだめでしょう?』…いまだにこんな誤解を、一部には持たれているようですが、実際にはもちろん違います。

私の通っている教室は、仕事帰りにスーツ姿のまま、机と椅子のある教室で、素敵な先生が優しく教えてくれました。東京の小さなマンションで暮らす私の家には、和室がありません。花は、フローリングのリビングやベッドのある寝室に飾っています。また、私の所属する「いけばな小原流」は、日本三大流派のひとつにあげられる大きな流派ですが、ただ昔から伝わる技を継承するだけでなく、現代の生活スタイルにも合うように、使用する花材や型は進化しています。

秋のいけばな(栗・鶏頭・薄)

いけばなの愉しみ

瓶に花を飾ること。その行為自体は、「いけばな」と呼ばれるずっと前から、存在していたことでしょう。では、いけばなとそうでないものとの違いは、いったい何でしょうか。それは、「形式を持ち込んだこと」と言われています。型があることで、実用的になるのです。生活の中で、誰でもきれいに花を飾ることができるようになるのです。

そして、いけばなには、四季を感じさせる生きた植物を使う点に、大きな愉しみがあります。
いけばなでは季節を先取りするため、植物の盛りの時期よりも、少し前にいけます。
例えば、桜。お稽古で使うのは、だいたい2月下旬から3月中旬くらいまで。実際に目にする時期には、自然本来の姿を大いに楽しむべきという考え方です。だから、自然の姿を前の年にはしっかり観察しておくことも重要になります。そこで心の中に印象づけた姿を、翌年、桜の開花の前に、いけるのです。
加えて、実際にいけたお花のつぼみが開き、彩り豊かに周囲を染めたかと思えば、しばらくすると花びらが落ち、弱り、枯れていくという生命の循環が見られます。
生命の尊さや時間が流れていることを自覚するだけで、日々の過ごし方が変わるような気がしませんか?

そして、同じ種類の植物であっても、二つとして同じ形のものはありません。いけるたびに、新しい花と向き合うことになり、新しい美と出会う喜びを実感することができます。

また、日本文化は「間」を大事にします。別の言い方をすれば、「引き算の美学」です。
なかなか言葉では伝わりにくい「間」。しかし、日本で暮らしていると分かるはずです、 ここちよい「間」があるということを。
いけばなでは、最小限の花材を使用して、さらにそこからそぎ落とすことで、見る人の想像力を掻き立てます。限られた本数の花材でありながら、たくさんの植物を使う以上に、伝わるものがあることを知るのです。

分かりやすく例えるならば、5・7・5でおなじみの俳句。
季語を用いてたった17文字の表現ながら、その言葉の周辺にあるものや見えない気持ちを察し、感慨深い余韻などを生み出します。
それと同じ感覚が、いけばなの根底にもあるのです。言葉がそうであるように、植物もまた、人間と自然の間で培った歴史や文化の「象徴」となるからです。

とある秋の日の子規庵(東京都台東区)。正岡子規が晩年、家族とともに暮らした家です。鶏頭がきれいに咲いています

そうやって、先人たちのかつての暮らしに思いを馳せ、いま・ここに戻ってくることで、明日への前向きな気持ちが自ずと生み出されるのです。